これは嘘でもネタでも無い真実です。
#あまりにもタイミング良すぎて、絶対ネタだと思うけどさ、、
私、何日か前の日記に書いたように朝早くから東京に上京すべく、準備してたんですよ。
でも、準備しながら勤務表とカレンダーを見ると、再来週の8/26〜29と下番とか代休で4連休と言うのに気が付いた私は、急に上京する気が無くなった訳です(これは良い方に運が傾いた)。
んで、チョット早く起きたもんだし天気もまずまず良いので、どっかに出掛けようかと思い自転車で太白図書館へ。
ココで読んでた本がアレだった、、
にっぽん無線通信史。
マルコーニの実験した装置の再現
日露戦争(三六式無線機)
船舶無線(銚子無線局とか)
太平洋戦争(八木・宇田式空中線)
短波の開拓者(アマチュア無線)
マイクロ波通信(東京〜大阪ルート)
衛星通信(当時のKDD)とケネディ暗殺事件中継
とかのお話をメインに、明治-大正-昭和と時系列をおって、色んな日本での無線通信史に関するエピソードなんかを散りばめている本です。
#ヲレ、これで初めて安中+共立=アンリツだってのわかったよ、、
あと、当時の奄美諸島向けマイクロ波網がトカラ列島の山岳回折を利用した、世界でも珍しい長距離実用通信だってのも、、
無線をチョット齧った事のある方ならそれぞれのエピソードは概略わかると思いますが、それを読みやすく書いているので、図書館とかで見たらご一読を、、
閑話休題、ココからですよ(笑)。
で、上記の本の中に関東大震災と無線通信のくだりがある訳ですよ。
1923/09/01、関東を中心に猛烈な激震があったときにこの惨状を世界にいち早く伝えたのが、野馬追いで有名な磐城無線電信局原町送信所なんですよ。
#因みに、第一報の後の記事より、その後の記事は、なんと河北新報の記事が、世界に伝えられたんですよ。
で、その記事をまさに読んでいたら、、
最初、ゴーとかって聞こえてきたんで、空調かな?と思ったら揺れが来て、「あっ地震だ」と思うか思わないかで、凄い揺れになりました。
#ですが、免震構造になっているのか本が本棚から落ちる事も無く、すみましたよ。
とりあえず、仕事場に電話。
したんですが、話中で繋がらず仕事仲間のケータイも発信規制で繋がらず、、
想定している宮城県沖地震の激震震災地域(仙台塩釜地区)が震度5以上の場合は、自動的に仕事場に行くようになっているので、とりあえず家に戻って仕事場に行く準備をする。
自室の被害、、
17インチの液晶が危うくラックから落ちそうになってた
ラックの上にあった小物が落下
本棚の上のACアダプタ一杯が落下
押入れの中でPC-Softの箱が散乱してた
本棚の本、PCは無事
と、特に目立った被害はありませんでした。
#家も瓦が落ちたとかそういう被害なし、精々台所の鍋が落ちた位、、
仕事場へ!!
自転車で飛ばしましたよ〜
途中、雨に当たりましたが、自転車に搭載しているカッパのお陰で大丈夫。
地震から70分で仕事場に到着しました(遅〜っ、ホントは1時間以内なんだけど)、、
作業着に着替えて、さぁ遅い昼飯でも食べるかと思ったら「おまえ県庁行く組ね」とか言われるし(´Д`!?
で、端末PCの準備もそこそこに県庁に行きましたよ、、
県庁の5Fで連絡通信用の回線使って、端末PC繋げて仕事場との接続を確認したら、細かい設定をお互いに変更しなおして、あとはひたすら待機でした。
何が辛い日って、変な気を使わなきゃいけないってのが辛かったですよ(>_<)
なんか中央からお偉いさんが来て、天井が落ちてきて全国ニュースでも有名になったスポパーク松森とか見て周ったあと夕方から会議やって、状況が落ち着いたので20時頃にやっと解散になりました。
家に着いたのは、23時、、
帰る途中のコンビニでオリオンビール購入して、家でがぶ飲みして寝ました。
やっぱ、夏の暑いには、オリオンビールだわ♪
地震で被害に逢われた方、とりわけ新幹線をはじめとする交通機関に振り回された方とか、、
一刻も早い復旧をお祈りいたします。
しかし、これが想定している宮城県沖地震ぢゃ無いと来たよ!?
宮城県全域で震度5〜6弱出してて、違うのかよっ(ツッコミ)。
一昨年だったかの5/26地震・7/26地震でわかったけど、30年前の宮城県沖地震であらかた地震に弱い建物はブっ潰れたし、チョットは雪降るからそれなりに家は丈夫な訳だから、想定している宮城県沖地震来ても被害少ないと個人的には思ったりするんだけど、どうでしょう、、
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